2009年12月18日

『輪舞−revolution』<奥井雅美>

『輪舞−revolution』(1997/5/21) キングレコード

作詞:奥井雅美 作編曲:矢吹俊郎
歌:奥井雅美

アニメ“少女革命ウテナ”OP主題歌。奥井雅美さんの傑作曲。今更ですが、読み方は『ロンドレボリューション』です。

ウテナは、90年代中盤に彗星のように現れ、アニメという表現方法の中に独特の美意識と個性を散りばめ、難解にして幾何学的かつ耽美な世界観を体現することに成功し、視聴者とアニメ界に猛烈なインパクトを残していった・・・なんというか、本当にすんげえ作品でした。

“潔くカッコ良く生きて行こう”

ウテナを語るに、これ以上の言葉は無いってほどに完璧なサビ歌詞。オープニングはこのサビから始まる訳ですが、もう一瞬のうちに心臓ワシ掴みってヤツです。

実は奥井さんは、この曲の作詞をした時は、ウテナの話の内容をほとんど知らされていなかったらしいです。ってことは、少女革命ウテナってアニメやるんでよろしく・・・ぐらいしか知らされてなかったのかもしれませんよね。仕方のないことですが、二番のメロ歌詞なんかは、ウテナの世界からはかなり遠ざかっていた感じでしたし。。

とはいえ“光差す校庭(ガーデン)”“頬を寄せ合ってうつる写真の笑顔に・・・”のあたりの詞は、逆輸入という感じで、アニメ本編のタイトルやシーンにも、後々に影響を与えたのではなかろうか?とか、思ったりします。→*第四話タイトル“光さす庭・プレリュード”*最終話ラストシーン等。

“たとえ2人離ればなれになっても 私は世界を変える”

ああ・・・このラストフレーズの鮮やかさには何度も胸を揺さぶられますね・・・。1番のラストフレーズでは“たとえ2人離れ離れになっても 心はずっと一緒に”となっています。どんなに遠くに離れたとしても、革命へ進む心も、想い合う二人の心も揺らがない・・・という、強い決意のようなものを感じました。

この“輪舞−revolution”を、すべて“ララララ〜”で歌ったアレンジ曲に、“Rose&release”というものがあり、こちらはアニメ最終話のエンディングに使われていたのですが、非常になめらかで美しく、聞き応えのあるものに仕上がっておりました。



ウテナという物語は、ありのままの自分で生きることの苦難が描かれていました。

王子様に憧れた少女は、王子様そのものになろうとして戦い、傷つき倒れます。しかし、それによって“王子様は無条件にお姫様を守るだけの存在”という概念を自分の手で打ち壊せた少女は、高潔で気高く、大切な人の存在を全力で受け止めてあげられる、自分らしい“王子様”に為ることを最後の瞬間まで目指します。

その真摯な想いは、王子様の庇護のもとで従順にしているものがお姫様であり、それこそが自分であると思い込んでいた少女の心を動かし、変えていくのです。従順なだけがお姫様ではないと気づいた彼女は、王子様と共に生きていく為に、自分の意思で、自分から王子様に手を差し伸べるのです。

“王子様かくあるべし”という概念を変えてしまった少女は、王子様とお姫様の決められた物語を飽きもせずに続けようとする学園の中には居れず、外の世界に消えていきますが、彼女によって“お姫様かくあるべし”という概念を壊すことができた少女も、また彼女を探し求めるために、学園を去ります。

少女革命とは、少女が自分の身を固め包んでいた概念という名の鎧をはぎ落とし、身軽になった体で、以前より自由に飛び回り、ありのままに生きていく為に必要な行動であり、思想の転換であったのではないかと思います。

太宰治の小説“おさん”の一節にこんなのがあります。

 『革命は、ひとが楽に生きるために行うものです(中略)気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、それさえ出来たら何のむずかしい問題もないはずです』 

おそらくウテナの主題であるところの“革命”も、それと似たようなニュアンスで用いられていたのではないかな〜・・・と、今更ながら想像してみました。

昔、なんとか野ばら先生が“美意識を持って生きることは大変です。それは世界を敵に回すことだからです”みたいなことをおっしゃっていた気がします。

個性的である事、自分らしくいる事。それは“ふつう”でいることが当たり前とされ、“ちがう”ことを死ぬ気で排除しようとする、この現実の世界では本当に辛く、難しいものです。少数派とされることの苦痛や嘲笑を、乗り越えられなければ、自分らしい強さを持って生きていくことさえ困難なのが、今の世界なのです。

ウテナは、そうしたある種の“自分らしさの貫き方”や“美意識”をデュエリストという存在に投影させることで、様々な愛や恋や生きる形を娯楽として見せていたとも思います。

男らしいこと、女らしいこと、兄妹であること、同性愛であること、親友であること・・・そうした“関係”ですら、知らず知らずのうちに決められた価値観がはめこまれているものです。

男はこうあるもの、女はこうあるもの、親友はこうあるもの・・・。しかし、そうした価値観に、自分自身の想いや美意識までも歪められているのではないか?と、ウテナやデュエリスト達は戦いの中で気がついていきます。そして、その瞬間に本当の革命は起きるのでしょう。

・・・なんでこんなに長くウテナの物語論を語っているのか、自分でも本当に謎ですが、それほどまでに、この作品に入れ込んでハマリ倒していたということなので、どうかご容赦下さいませね。百合的にも勿論見所はあるのですが、この物語はそれすらも要素であり形容に過ぎない、とんでもねえパワーがあります。今見ても、古さなんてまるでありません。一度手にとって見ていただきたい名作&怪作アニメでございますので、どうぞよろしく(何。





★おまけ★
最近見た、こっ・・・これめっちゃウテナっぽいやあああんな映画のシーンについて

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この記事へのコメント
連続コメント失礼します。
だけど話がことウテナのこととなると
私も黙っていられません!!!(笑)


<“潔くカッコ良く生きて行こう”

ウテナを語るに、これ以上の言葉は無いってほどに完璧なサビ歌詞。>

オッケー!!!!よっしゃこいっ!です。
まさしくその通り。
まずここでガツンとやられますよね、そして
その後に続く「例え二人離れ離れになっても」
更に畳み掛けるように「私は世界を変える」
もう、この一発目のフレーズだけで
このウテナという物語の全てを語っていると
言っても過言ではない(マテ

<“王子様かくあるべし”という概念を変えてしまった少女は〜>

↑物語の核の部分を簡潔に表していて素晴らしい。

そして何より、百合を楽しみに見ていた私のような
人間でも、その物語の物語足りえる脚本と演出に
百合すら忘れて没頭して見ていた記憶があります。

賞賛すべきは影絵の少女たちが紡ぐシュールな世界。
あれは確か学園の演劇部の少女たちが稽古をしている
姿が影となって映し出されていると何かの本に書かれていた
ように記憶していますが、もちろんこのアニメの世界で
描かれている物語を隠喩、暗喩、または揶揄wしている
ややチクリと、そして徹底的に辛辣で毒のある黒子だったように思います。
Posted by 元ユリミテ at 2009年12月19日 01:10

この物語は大きく分けて4編と捉えていいかと思われますが
私は黒薔薇編が一番好きですwwwBL臭漂ってますがw

何にせよ、革命されるのでなく、自らの手で革命していく
かっこよさ。
だけれど全てが茶番のように思わせたバドミントンシーン。
最後に取り残されたのは、いつまでも閉ざした世界で
成長することなく、殻を破ることができなかった
暁生という存在。それは「卵の殻を破らねば…」という
冬芽の名台詞の通り、いつまでも生きながらにして
しんでいるのと同義なのかなと。
殻を破って生まれることなく。

そして「いつかふたりで…」
この後の展開が非常に気になるところではありますが、
ウテナもアンシーもある種の呪縛から解き放たれた、
といいますか、自らの手でその殻を破って、自ら選んだ
道を自らの足で進んでいくかっこよさがやっぱりえらく
かっこよかったなとw
例えそこに広がる世界からフェイドアウトしても、
その価値観に縛られることなく、二人が望んだ道を
「手を繋いで」進んでいってもらえたら本当に嬉しいなと。

さて、長々と失礼しました。

しかし最後にやっぱり気になるのは七実のタマゴです。
チュチュはやっぱり生まれ変わったんですよね?w
生まれ変わりを信じますかとのアンシーのセリフ通りに。

以上。10年前の記憶を頼りに書いたものなので
間違って解釈している部分がありましたらごめんなさい。
Posted by 元ユリミテ at 2009年12月19日 01:11
おっ・・・どうやら私はユリミテさんの心の琴線を弾いてしまったようですね(何。
私も、ウテナ主題歌について軽く書こうと思ったら、途中から色んな思い出が甦ってこの様ですよ

>もう、この一発目のフレーズだけで
>このウテナという物語の全てを語っていると
>言っても過言ではない

やはりユリミテさんも、そう思われましたか!!
輪舞−revolutionのサビ歌詞は、マジ本気でサイコーってやつですよねええええ!!!
フルバージョンの歌から、一部を切り貼り&編集しなおした事で、ウテナのテーマに相応しい主題歌に仕上がっていましたし、途中で歌が変わったりすることもありませんでしたから、ハンパないぐらい思い入れが出来てしまったという感じです。

“今日までの自分を 潔く脱ぎ捨てる 裸になる 自由を舞う薔薇のように”

レビューの中で、概念を打ち壊す事=思想の転換=少女革命という話をしましたが、上記の歌詞も、非常にそれに近いものがあるなあ〜と思ったりします。自分の中で作り上げてしまっていた固定概念という名の虚像を、自身の手によって砕いた時こそ、本当の自由が手に入る・・・ということを、既にこの時点で暗示していたのかもしれないですね。
Posted by ろむろむ at 2009年12月20日 14:20
私もはじめは、ウテナとアンシーがどうなるのかが(百合的に)気になって見ていましたが、もう、途中からそれどころじゃなくなって、夢中で見ていた気がします。百合としては他に、樹璃と枝織の二人もポイントですけど、個人的に枝織がUZEEEEって感じでスルーしてました。黒薔薇編は、思い出の中の永遠を乗り越えられず、記憶すら自らの妄想ですりかえてしまっていた根室教授の悲劇が残酷で実に良かったと思います。

そして影絵少女ですが、私も毎回のように入るあのシーンを見るのが楽しみだったカシラ〜。

絶対にその物語のテーマを暗喩しているのに、微妙にズレていたり、おかしなことばかり言ったりやったりしてるのが面白くて、色々考えさせられました。影絵ということで、普通の倍増しで想像力が膨らませられましたしね。あれは、演劇部の少女という設定だったんですね!?

そういえば、最終話でウテナとアンシーが離れ離れになったあとのシーンで、校庭をバックに少女達が将来について話しているシーンがありましたが、あれも影絵少女のやりとりらしいですね(A子・B子・C子が喋っているらしい)。全編通して影絵だった正体不明の少女とは、最後までその姿を見せなかった、学園にいる誰か・・・つまり、それは学園に通っていた学生達の意思が集められた存在だったのではないかと思います。ウテナたちのことを散々揶揄しながらも、最後は『ま、どうでもいいけどね』と、いとも簡単に切り捨てる絶対の“他人”。それが、影絵少女のポジションだったのかな〜と私は思いました。
Posted by ろむろむ at 2009年12月20日 14:20
『城の中で永遠に幸せに暮らそう』と囁いたり、ウテナの革命は失敗したと、すべたが終わった後でも思い込んでいる暁生が、アンシーに冷たく振り払われる場面も、すごい良かったと思います。振り払われた後で、混乱してうろたえている暁生こそ、“王子様ごっこ”を続けているだけのなんちゃって王子様に過ぎなかったのだと視聴者に示しているようでした。

>自らの手でその殻を破って、自ら選んだ
>道を自らの足で進んでいくかっこよさがやっぱりえらく
>かっこよかったなとw

殻を破ることに成功したアンシーのあの晴れ晴れとした表情も良かったです。
外に出ていった二人は、“たとえふたり離れ離れになっても”もう一度必ず巡り会える。そんな予感に満ち溢れたラストだったと思います。

ユリミテさんのウテナファイアーっぷりに、10年ぶりに私の中のコスモが爆発しました。
ありがとうございました!


あと、七実が生んだ(?)卵が還ったと思ったら、長らく姿を消していたチュチュがちょっと立派になって帰ったきた・・・というあの謎の回ですが、やはりあれも“卵の殻を破らねば〜”の比喩なんですかね???女の子が卵を産むというアイデアは、監督の昔やってた劇のネタらしいと聞きましたが・・・。
Posted by ろむろむ at 2009年12月20日 14:21